Published on: 12/02/2014 | Last updated: 09/16/2024
ボディートークにおいて、もっとも望ましいとされるありかたは“be present”。
つまり、過去にとらわれるでもなく、未来について期待や心配をするでもなく今このときを生きるということです。
そのために、潜在意識に溜め込まれて不安や恐れの原因となる過去の感情を解放したり、期待ひいてはストレスのもととなる思い込みを解除するテクニックを使って、物事を見る際のフィルターやブロックができる前のニュートラルな状態へと導いていきます。
アマゾンの奥地に住むピダハン族のドキュメンタリーをはじめて見たとき、地球の裏側に現代においてもまさにこの“be present”の境地を生きている人々がいるという事実に驚きました。
言語学者のダニエル・L・エヴェレットは世界でも特異とされるピダハン語を研究するためキリスト教の伝道者としてピダハン族のもとへ赴き、30年にもわたる交流の末、価値観を覆されて、熱心に実践してきた信仰を捨てるに至ります。
その理由は、自分が信じてきたのとはまったく違う世界観のなかで生きるピダハンたちが「類を見ないほど幸せで充ち足りた人々」だったから。
ピダハンの村を訪れたMIT(マサチューセッツ工科大学)の研究チームも「これまでに出会ったなかでもっとも幸せそうな人々」と評したそうです。
そもそもピダハン語には「心配する」に対応する語彙がないと見られています。
また、収穫した食べ物は保存する技術をあえて使わずすぐに食べ切ってしまう。
そのときに必要な分以上のものは持たない。将来のことを考えるより一日一日をあるがままに楽しむのがピダハンの文化だからです。
外界から持ち込まれる技術の進展や物質的な豊かさにもさして関心を示さず、持っているものに満足して生活していますが決して怠惰なわけではなく、よく働く、というより働くことを楽しんでいるといいます。
さらに「こんにちは」「さようなら」「ごきげんいかが」「ありがとう」といった対話の相手に善意を示したり和ませたりするための言葉もないけれども、村には笑いが絶えず、お互い助け合って平和に暮らしているそう。
もちろん、平均寿命が短い、乳幼児の死亡率が高い、マラリアなどの病気で命を落とすことがあるといった西欧の価値観では不幸とされる要素はあるものの、彼らはそれも日々の営みの一部として自然に受け入れています。
あくまでも本質だけで構成されるピダハンの世界の豊かさを知ってしまえば、西欧の文化などすべて幻想にすぎないように思えてくるのも無理はありません。
本来の人間の生き方とはこのようなものだったのではないでしょうか。
あるいは、エヴェレットの言うように「西洋人であるわれわれが抱えているようなさまざまな不安こそ、じつは文化を原始的にしている」のであって、不安のない文化をもつ「ピダハンこそ洗練された人々」なのかもしれませんね。
そういえば、ブラジル政府は西洋医学に適性がないアマゾンの原住民の健康管理にボディートークを取り入れているそうです。
ピダハンの人々にはあまり必要なさそうですが、もしセッションさせてもらえたならば、むしろこちらが人生を豊かにする叡智をたんまり学ぶことができるんでしょうね。
引用は『ピダハン 「言語本能」を超える文化と世界観』ダニエル・L・エヴェレット著より。
写真はボルネオのビダユー族の集落です。