意識のはなし

夢と意識と宇宙の話

こどもの頃から夢日記をつけている。とはいえ、書き留める前に忘れてしまったり、忙しさにかまけてつけていない時期があったりと、続けるのはなかなか難しいけれど、意識の奥底を探検できる夢はいつだって興味深い世界を見せてくれる。無意識や意識の有り様と深く関係する夢に魅了されてきたわたしが、まさに意識に基づく療法であるボディートークに引き寄せられたのは自然な流れだったのだろう。

夢といえばフロイトやユングによる分析が有名だが、日本にも夢の達人がいた。華厳宗の隆興に尽くした鎌倉時代の名僧、明恵上人は生涯に渡り丹念な夢の記録を残している。
河合隼雄著『明恵 夢を生きる』によると、「その夢は彼の人生の中に重要な位置を占め、覚醒時の生活と見事にまじり合って、ひとつの絵巻を織りなしている」。

そして、明恵はイデオロギー的ではなくコスモロジー的な仏教を説いていた。つまり、彼はこの時代からすでに宇宙的意識と調和して生きることを会得していた稀有な人物であり、夢はそのための重要なツールだったのではないだろうか。

夢を記録、解釈し、日常生活の規範として活かしつつ、自己実現を成し遂げていった明恵は前兆夢のようなものをよく経験しただけでなく、彼の周囲では不思議な現象が頻繁に起きた。
たとえばテレパシー。「手洗いの桶に虫が落ちた」とか「雀の巣に蛇が入った」と言われて見にいくと本当にそうだったというようなことが何度もあり、弟子たちはすべて見通されているのではと怖れて行いを慎むようになったという。

しかし、明恵自身はそうした能力を崇められるのを厭い、そのような現象は人間なら自然にできることと語っていた。ただし、「修行をすれば」という条件つきで。本著では、明恵が禅定によって“ある種の意識状態になっていったとき、「こころ」の状態と外界の「もの」の世界の状態が不思議な対応をもち、遠隔地のことや暗闇の中のことなどが「見える」ようになる”として、ユングの普遍的無意識(集合的無意識)の考え方をあてはめているが、これは言い換えれば宇宙的意識である。

宇宙に存在するすべての事象は相互に関連性をもち網目状につながっているというのが量子物理学において導き出された結論であり、だから宇宙的意識にアクセスできればあらゆる情報を獲得できる。そして、その能力はすべての人間や動物に備わっている。

ボディートークのセッションでもよく「どうして話してないのにわかるの!? 霊感? 超能力?」と言われることがあるが、インネイトウィズダム(内なる叡智)を通じてそこから情報を得ているだけで、そんなことは本来なら誰にでもできるはず。動物と話せたり、遠隔セッションが効果的なのもこれで説明がつく。

こういう話は非現実的だと捉えられがちだが、明恵はきわめて合理的かつ現実的感覚の持ち主として知られていた。

“不思議”なできごとを奇跡と称して自分の偉大さを誇示するどころかむしろ真逆の態度をとり、あらゆる二元性を包含するバランス感覚を持っていて、何事にもとらわれることなく柔軟に生きたからこそ、あれほどの精神の高みに達することができたのだ。

明恵は仏教史においてはあまり重要な地位を与えられていないものの、日本人の生活、日本人の考え方の根本には大きな影響を与えてきたと、河合隼雄は記している。日本人にそのような素質が受け継がれているのだとすれば、少し希望が持てるような気がする。


明恵の生き方や夢記から日本人の心を深く掘り下げてみたいと思う。

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