Published on: 10/27/2024 | Last updated: 10/27/2024
8割の人間は一生変わらない。変われない。そんな長年の思い込みを打ち砕いてくれたのがボディートークでした。人とはできるだけ関わりたくないと思っていたわたしがなぜ、年間数百人に施術をするセラピストになったのか。それは30年以上、何をどうやっても決して変わらなかった家族の「どうせ無理」がたった数日であっけなく覆されたから。この療法が広まれば世界は「どうせ無理」の呪いから解放される。どんな人でも何歳からでも変われるんだ。そんな希望からわたしのボディートーカーとしての道のりは始まりました。
目次
動物にたどりつくまでの試練⁈
ボディートークに興味をもったのも動物(猫)がきっかけ、そしてボディートーク認定施術士(CBP)になろうと決めたのも動物のためだったので、資格を取った後も動物専門で開業するつもりでした。
でも当時はアニマルボディートーク専門の施術資格がなく、人のためのセッションをまず学んで認定を取った上で動物のための施術を学ぶと動物にもセッションができるという形でした。なのでまずその試験を受ける必要があったのですが、条件として50件のモニターセッションをしてその記録を提出しなければならなかったんです。
人のモニターセッションを50件! 人間が苦手だったわたしにとってはたいへんな試練に思われましたが「動物たちのためにやるしかない」と心を決め、しかも嫌なことはできるだけ早く終わらせたいと2ヶ月で完了するという目標を立てました。
これだけの数をこなすにはボディートークのようなまだ一般的でないものに理解がある人だけではとうてい足りないので、とりあえず周りの人に手当たり次第声をかけ「30分 横になっているだけでいい。何かを体に入れたり力を加えることは一切なく絶対に害はないから、とにかく協力してほしい」と頼みこんでセッションをさせてもらっていました。
そのなかに家族もいたわけですが、そこでわたしの人間観を一新させる驚くべき変化が起きたのです。
“どうせ無理”という家族の呪い
もともと家族との関係は良好とは言えないものでした。このあたりの話は長くなるのでまた別の記事で書きますが、とにかくいちばんイヤだったのは、わたしが大なり小なり何かをしようとするたびに家族が口を揃えて「どうせ無理」とやる気をくじこうとしてくることでした。
とはいえ、反対されてもやりたいようにやって、すべてが大成功とは言わないまでも、やったことに関してはつねにそれなりの結果は出してきたんです。結果的に「無理」だったことなど一度もありません。
それでも「どうせ無理」なはずのことがうまくいくたびに彼らは「今回はたまたまうまくいっただけ」「運がよかっただけ」「最初はよくてもどうせすぐダメになるから早くやめなさい」などと否定しつづけ、また次にわたしが何かをやろうとすると「どうせ無理」。これを幼い頃からずーーーっと繰り返してきたんです。
合理的な言葉で説得しても理解しないだけでなく、何度も何度も行動で実証してみせてもぜったいに考えを変えないってどういうこと⁈ 「たまたま」って毎回じゃん!とイライラしつづけ、家族以外でも「どうせ無理」と口にする人たちにげんなりする日々を長く過ごしていました。
ボディートークを受けはじめてからは、そんなイライラもなくなり、「まあそう思ってる人たちにとっては無理だよね。わたしには関係ないけど」と軽く受け流せるようになって、彼らは何があっても一生変わらないだろうけれどそれも彼らの自由と考えるようになっていました。
ボディートークで長年の呪いが解けた!
というわけで、いくらボディートークでも家族の「どうせ無理」を変えられるとは思ってもいませんでしたし、何の期待もせず、ただただ頭数としてセッションをさせてもらいました。どうせ理解されないので、ボディートークは体に良いものというくらいで詳しくは説明せず、セッションのなかで何の調整をしたかもほとんど伝えていません。
そして数日後……
「いろんな生き方があっていいよね」
「わたしもあなたみたいに自由にやりたいことやればよかった」
「おもしろそう」
家族から初めて、“ふつう”から外れたわたしの生き方を肯定するような言葉が続々と出てきたんです!
は⁈ そんなにかんたんなん??? 今まであれだけイライラして、あれだけ証明しようとがんばってきて、それでも1ミリも変えられなかった「どうせ無理」がこんなにかんたんにひっくり返るの????? 今までの努力なんだったの? こんないい方法あるならもっと早く教えてよーーー!!!!!
と悔しくなったくらい、あっけなく変わりましたね。
本人たちは自分が変わったことに気づいてすらいなかったし、それがボディートークによってもたらされた結果だとは微塵にも思わなかったでしょうけど。
「どうせ無理」をなくして誰もが生きやすい世界へ
ボディートークってすごい。とは思っていたけどまさかここまでとは。
しかもまだ駆け出しの、もっとも基礎的なクラス2つだけをひと月前に受けたばかりの、ボディートークという広大なシステムのなかのごくごく一部を習得しただけの、まだ認定施術士ですらないわたしのセッション1回でこれだけの変化が起きるなんて。
これが世界に広まってみんながボディートークを受けるようになったら、「どうせ無理」と人の心をくじく人も、「どうせ無理」に抗って傷つく人も、「どうせ無理」を刷り込まれて可能性を手放しチャレンジすらしない人もいなくなって、誰もが好奇心のままにいろんなことに挑戦し、自分だけの才能を見つけて個性を発揮できるようになる!
それはまさにわたしにとって理想の世界。そうなれば誰にとっても生きやすいはず。
そう思ったら人にセッションをするのも楽しくなって、残りのモニターセッションもサクサクこなし、認定試験も合格、サロンを開業してからは人と動物半々くらいでセッションをさせていただいています。
「どうせ無理」で可能性が奪われない社会を目指す植松努さん
ちょうど同じ頃、ある動画が話題になっていました。北海道で宇宙開発に携わる植松努さんの『思いは招く』というTEDトークです。
幼い頃からロケットが好きで、ロケットを作るのを夢見ていた植松さん。先生に「どうせ無理」といじめられ、一時は夢をあきらめてしまっていたそうですが、今では経営する町工場で宇宙開発事業に携わり挑戦を続けています(『「どうせ無理」と思っている君へ 本当の自信の増やしかた』植松努著)。
「“どーせむり”は自信と可能性を奪う最悪の言葉。これを唱えるだけで何もしなくてすんでしまう、とっても楽ちんになれる恐ろしい言葉でもある。こうして自信をなくした人が他人を見下し、努力を邪魔する。やったことがない人があきらめるための言い訳を教えてくれる」
まさにそのとおり!
植松さんはお母さんからもらった「思うは招く」という言葉を胸に、「どうせ無理」に負けず夢を持ち、やったことがないことをやってみる人を増やしたいと精力的に活動されています。
この動画がバズるということは「どうせ無理」のせいでいつのまにかあきらめてしまった人、夢を忘れてしまった人、そしてそれを変えたいと思っている人がたくさんいるのでしょうね。
確かに周囲の否定的な意見に負けない強さも大事です。でも、強い人しか夢を持てない、挑戦できない世の中って何かおかしくないですか?
「どうせ無理」の手先を仲間に引き込む方法
世界に革新をもたらした偉人たちのエピソードには、人とは違うことをやろうとして最初は「どうせ無理」と周りにバカにされていたけどそれでもやりつづけて成功を収めるという定型があります。そしてもうひとつの共通点は、そんな状況でも身近な大人(多くの場合は親)のなかに可能性を信じてサポートしてくれる人がいたということ。
植松さんも学校ではつらい思いをしていてもおじいちゃんおばあちゃん、お母さんは励まし支えてくれていたんですよね。
発明王エジソンも学校に適応できず勉強もできなくて問題児とみなされていたけれど、母親が彼の好奇心と探究心を伸ばす環境を整えたことで、才能が花開いたと言われています。
でも、そんな幸運に恵まれる人はほんの一握りで、ほとんどの場合、身近な大人たちもみんな一緒になって「どうせ無理」を浴びせてきます(わたしが小学生のときにエジソンの伝記を読んだ感想は「この人、うちの親の子として生まれてきてたらつぶされてたな」でした)。
わたしの家族も特別にネガティブというわけではなくて、ただただふつうのごく平均的な日本人の価値観をもった人たちです。そのなかにひとりだけ“ふつう”と違うことばかりやりたがる子どもが生まれ落ちてきたので、なんとか“ふつう”に矯正しなければと叩きまくったというだけで。
結局のところ、そういう“ふつう”の人たちも知らず知らず刷り込まれた「どうせ無理」を無意識に受け入れて何かをする前からあきらめて生きてきたわけです。「どうせ無理」がただの思い込みで本当はなんでもやればできるという現実を認めるのは、これまでの生き方を否定するも同然ですから、「どうせ無理」を“現実”に留めておくために、それに反する事象を叩きつぶさなければならないという強迫観念に囚われているんです。そして自分ではそのことに気づけません。
「どうせ無理」を撲滅するには、それに負けない強さを育むだけでなく、「どうせ無理」の虜となり手先となってしまった人々の洗脳を解くことも同じくらい重要で、ボディートークはその両方をサポートできる強力なツールです。
「人は変われない」が「誰でもいつでも変われる」に
わたしは8割の人間は一生変われないし、成長しないものと決めつけていました。
なぜなら、ほとんどの人は日々さまざまなことを身をもって体験しても見聞きしても、自分がもともと持っている「世の中はこういうものである」という思い込みの枠に当てこんで曲解するだけで、新しい学びや気づきにつなげようとしないから。
まさに自分の家族がそうで、こどもの頃はうちが特別で変わっているんだと思っていましたが、社会に出て広い世界を知るにつれ、それが“ふつう”なのだと思い知らされ、どんどん人間嫌いになっていきました。
全体の2割にも満たない、先入観に反する人生経験をも受け入れ噛み砕いて思い込みの枠をその都度アップデートできるタイプの人としか関わりたくない、と人付き合いも限定的に。
でもCBP(ボディートーク認定施術士)の資格を取るためのモニターセッションがその思い込みを一掃してくれました。誰よりも長い間、間近で観察してきて、誰よりも変われる可能性がなさそうに思えた家族が、まだまだ未熟な自分の施術でも一瞬で変わったのですから。
どんな人でも、何歳からでも変われる。
そう思えるようになってからは、「どうせ無理」派の人たちと出会っても、この人はどういう経験と環境によって無力感を植え付けられてきたのかなと興味をもって観察するようになりました。だからといってすべての人にボディートークを強制することはできませんし、本人が変わりたいと思わなければ、ボディートークのような潜在意識に直接アプローチできるツールを使わなければ、やっぱり一生変わらないのかもしれません。10年以上前に駆け出しのわたしが期待をふくらませたほど物事はかんたんではありませんが、それでもすべての人が変わる可能性を秘めていると知ったことで、人付き合いはずいぶん楽になりました。
それにわたし自身が「人は変われない」と思い込んでいればそれが現実になり、変われない人ばかりを引き寄せてしまうので、この信念を変えてくれた家族にはとても感謝しています。
衝撃の事実:抗うのは信じ込まされているから
ボディートークが教えてくれたもうひとつの重要な事実。
それは幼い頃から「どうせ無理」に抵抗しつづけてきたわたしもまた、潜在意識レベルでは「どうせ無理」という価値観を信じ込まされていたということです。
大人になって家族の「どうせ無理」が間違いだったことを繰り返し証明した実績をさんざん積み重ねた後になってもなお、「どうせ無理」と言われればイライラ、ムカムカしていたのは、自分も無意識のうちに「どうせ無理」と思い込んでいながら顕在意識ではそれに抗うという矛盾を抱えていたからに他なりません。そもそも証明しなければならないと考えること自体が信じ込まされている証拠ですよね。だって自分が正しいと100%確信していれば、それを他人に対して証明する必要なんてないんですから。
ボディートークを受けてこの思い込みが外れたら、「どうせ無理」という言葉が聞こえてきても「あーまた言ってるな」くらいで感情は乱れずスルーできるようになりました。
環境って本当に恐ろしいものですね。とくに自分で環境を選べない子どもは人格形成期に周囲からさまざまな固定観念や偏見をいやおうなく植え付けられてしまうんです。たとえ本人はそれが正しくないと考えて全力で抵抗しつづけたとしても、毎日のように聞かされた言葉は潜在意識にしっかりと刻み込まれ、その後の人生に影響を及ぼしつづけるのですから。
「どうせ無理」をバネにがんばる?
その一面、わたし自身この思い込みがあったからがんばれた部分は確かにあって、「彼らが間違っていることを証明してやる」という気持ちがバネになったのは否定できません。
そのおかげで「どうせ無理」と言われていた出版翻訳の夢も大学卒業翌年に叶えることができ、その後も吹き替え翻訳や字幕翻訳、放送翻訳、通訳などテレビ業界や映画業界にも積極的にフィールドを広げていきました。とくに20代から30代前半にかけては写真家や占い師としても活動したりと、つねに新しい分野にチャレンジしてやりがいもあり収入もじゅうぶんすぎるほどあって充実した日々でした。
でも、こうした潜在意識と顕在意識の葛藤がモチベーションになっているとどうしても歪みが生じます。結果として、無理をしてがんばりすぎてしまって体を壊したり、燃え尽き症候群になったり、好きなことを仕事にしてうまくいっているはずなのになぜか楽しくなくて鬱っぽくなる時期があったんです。
ボディートークを学んだ今ではそのメカニズムはよくわかるのですが、無意識のうちに社会的な評価や人から見てわかりやすい実績を作ることを優先していたのがその原因なんですよね。そのせいで“好き”の純度が下がり、純粋な好奇心よりも「成功しなければならない」という思い込みが動機付けになってしまっていたからです。よく「好きなことを仕事にすると嫌いになるからやめたほうがいい」という人がいますが、似たような理由なのではないでしょうか。
大切なのは“バランス”と“好奇心”
30代半ばからボディートークで心と体のメンテナンスをするようになってからは、周囲から見ればキャリアが失速したように見えるかもしれませんが、自分としてはやりたいことと仕事、プライベートのバランスがうまく取れるようになり、社会的評価を気にせず心の声を最優先にするようになって幸福感は格段に上がりました。
若いうちにバリバリ働いて刺激的な日々を過ごせたのはかけがえのない経験だったと思っています。まだ体力もあって無理も効きますし、体を壊してもすぐに復活できますからね。でも、あのままのメンタルとやり方で40代、50代を迎えていたら、心も体もかなりつらくなっていたはず。ちょうどいいタイミングでボディートークに出会えてラッキーでした。
もうひとつ良かったのは、好奇心をフル活用できるようになったこと!
もともと好奇心旺盛でフットワーク軽くいろいろやってはすぐ飽きるタイプではあったのですが、やっぱりあらかじめある程度できると確信していることしかやっていなかったと気づいたんです。
なぜなら、何かやろうとするたびに「どうせ無理」と言われつづけて、実際にやってみたらぜんぜんダメだったとなれば「それ見たことか」とバカにされるのは目に見えているじゃないですか。だから「失敗してはいけない」という思い込みがセットになって刷り込まれていたんですよ。
「どうせ無理」といっしょに「失敗してはいけない」という信念が外れたら、ちょっとおもしろそうと思っただけでも軽い気持ちでまずはやってみるようになりました。すると自分では苦手と思っていたものでも実はまあまあ向いていることがわかったり、それ自体にはハマらなくてもそこからつながった別の何かがめちゃくちゃおもしろかったりと、意外な展開がたくさんあってますます世界が広がっています。
「好奇心を大切に」とはよく言うけれど、人目が気になったり失敗が怖かったりでなかなか実行できない人が多いのではないでしょうか。そんな人にもボディートークはおすすめです。
学習性無力感を乗り越えよう
という感じで、ボディートーク認定施術士になって10年を機に初心にかえりつつ考えたことをつらつら書いてきましたが、最近は厳しさを増す社会状況のなかで「どうせ無理」「どうせ変わらない」を刷り込むシステムがよりいっそう強化されているように感じます。
でも、誰もが生まれたときは好奇心や探究心が原動力になっていたはずです。それが世間の空気や環境によって「どうせ無理」を潜在意識に刻み込まれて無力感を学習していくのです。
・かつて抱いていた夢をいつのまにかあきらめてしまった
・失敗や批判を恐れて行動を起こせない
・周りと比較してやってみる前にあきらめてしまう
・“女性” “学歴”など属性にまつわる固定観念で可能性を手放している
・年齢を重ねて気力、体力の衰えから新しい挑戦に消極的になっている
などなど「どうせ無理」を言い訳にして挑戦を避けている人、親など身近な人から「どうせ無理」と言われつづけてきた人、こどもに「どうせ無理」を刷り込みたくない親御さん、ボディートークで新しい一歩を踏み出してみませんか?
VUCA(予測不可能な時代)の必須ツール
今は“VUCA”の時代と言われます。
V(Volatility:変動性)
U(Uncertainty:不確実性)
C(Complexity:複雑性)
A(Ambiguity:曖昧性)
つまり変化が激しく先行きは不透明で予測しにくい状況。そんな時代に柔軟に対応し可能性を切り開いていくには、ありとあらゆる固定観念や偏見、思い込みを外して潜在意識をクリアにしておく必要があります。そのために最適なツール、ボディートークを活用して、しなやかな心と体、思考で荒波を乗りこなしましょう!
激変する世界においても人々の固定観念や社会の仕組みはなかなか変われずうんざりすることもありますが、まずは自分から、そして周囲のひとりひとりが変わっていくサポートをするのが、わたしにできる社会へのささやかな貢献だと思っています。必要としている人に届きますように。